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 #179 面白い人 すごい人 個性的な人 紹介したい人 地域で頑張っている人
赤坂 裕一郎 (あかさか ゆういちろう)
青森県立青森工業高等学校 〒038-0011 青森市篠田3-16-1
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現代のスクールウォーズ!優しくも厳しい、生徒に大人気の熱血先生
【電子科】平成18年度、3級技能士(電子機器組立部門)において、合格者数日本一を達成!!  以下は、赤坂先生のコメントをそのまま引用し、赤坂先生の人柄を感じていただきたいと思います! 

小さい頃の趣味は機械いじり。正確にはモノ壊し。バラバラにしても戻せない、直せない。最悪。家にあった「電蓄」に興味津々。(マツダ製77回転タンテ、5球スーパーラジオ付) 
夜、イヤホンで北海道放送(ラジオ)を聞くことが日課。
小4の時、ハンダごてデビュー。近所のお兄さんにラジオ作り、アンプ作りの手ほどきを受ける。4歳年長のお兄さん(I さん)が私の師匠。
小5の時、夏休みの工作の宿題で「1球真空管アンプ」を作る。木製ケースに収めた。ラッカーで塗装してみた。マイクはクリスタルイヤーホンを改造した。担任のT先生に絶賛されて有頂天。 (先生の一言は偉大だ)ついついおだてられ 木に登ってしまう。学校の放送部に無理矢理入れられる。
中学校時代は科学部の物理班。
顧問のK先生は理科の先生で担任。(当時20代始め独身。バイクで学校に来てた)K先生はアマチュア無線マニア。私はオーディオが興味の対象。
同じ電気つながりでオタクな私とも話が合う。先生大好きだったおかげで理科は得意。
やっていたことは、やはり機械いじり。正月のお年玉で部品を買ってはものづくり。至福のひとときだった。 新町のオーディオ・パーツセンター(にこにこ通りの小野ラジオ店の前身)や市役所裏にあった電技パーツが私の知っている唯一の中心市街地。 (どちらのお店の社長さんも青工高電気通信科のOBでした。)
このころかなり腕を上げる。回路図も読めて、一人でシャーシ加工して作れるようになっていた。
読む本も「ラジオの製作」から「初歩のラジオ」にレベルアップ。
そんな訳で高校進学は迷わず青森工業高校電子科。
工業に入学したらオタクの多いこと。私にとっては最高に幸せな環境。みんな一言ウンチクを語りたい人ばかり。
部活は剣道部。当時流行っていた学園ドラマに影響された。(主役の森田健作って知っていますか?) 虚弱体質からの脱却である。ところが1年で辞める。
電子科のA先生を拝み倒して、「オーディオ愛好会」を作り、ちゃっかり初代会長に。収まるべきサヤに収まった。有志18人の会となり、文化祭ではDJ風のレコード・コンサート。JBLのランサー101を借りてきて、当時流行っていたビルボード トップ100をかけまくった。
この頃、バンド連中からも録音の腕を買われ、デモテープ作りを手伝う。YAMAHAのライトミュージックコンテスト(後のポップコン)が流行り、それに参加するためだ。同級生の一人は卒業後も音楽活動を続け、ついには第7回世界歌謡祭’76で日本武道館のステージに立った。(曲名:Mr.じょんから)
YAMAHAの庄野真代がグッドバイ・モーニングで準優勝したときだ。
そのY君…いまでは青森市のビ○○スサービスって会社の重役さんです。

高校2年生の秋、大学進学を決意する。理由は、「コンピュータ界の巨人IBMに入社したい。」担任のM先生の影響か、A先生の影響か? はたまた江崎玲於奈さんへの憧れか?
「これからはコンピュータの時代になる!」そんな お告げを聞いたような気がした。
シャープが初めて携帯液晶電卓を販売した年のこと。
友人はオーディオ業界には進まないのかと聞いてきた。私の答えはNO.だ。
一番好きなことは趣味でいいから大切にしたかった。仕事にすると嫌いになりはしないかと自信がなかった。
でも、ビクターでレコードカッティングするN君、東芝家電研究所に行くO君、パイオニアに行くW君など、みんなが正直羨ましかった。
サラリーマンの父親をなんとか説得し、進学させてもらうことに。留年なんかはできない。プレッシャーあり、夢膨らむ学生生活。

北陸の大学で4年間を過ごす。(ディスカバー・ジャパン ○○百万石の古都)これまでの楽しい生活はなく、徹底して勉学に励んだ時期。
朝9時頃から午後5時頃までは授業。ほとんどの授業受けた。それから部活(放送研究会)。MROでバイトもよくやった。
午後7時前 学食で夕ご飯 …(昼と夜は学食)
冷暖房の効いている図書館でレポート書き。お勉強。
夜10時で閉館。アパートに帰って続きをする。
午前2時頃就寝。
… こんな生活がほとんど。

そうそう、年の暮れに来るはずの仕送りが届かず死にかけたこともあったっけ。「大学2年餓死?しそうになった事件」。貧乏学生にとって試練の時だった。
本当は、あんなことやこんなこともあったけどここでは秘密にしておく。
苦労の甲斐あって、無事就職内定。 卒研N教授の薦めでIBM社ではなく国産コンピュータメーカのF社川崎工場。憧れだったコンピューター屋をめざす。
人生の転機。F社を4年で転職。
京都府に本社がある精密機器メーカーDS社に入社。コンピュータ屋からシステム屋への転身。
ここでは、国産初の○○を開発することができた。弘前出身のS先輩ともウマがあった。(この方東大卒) 機械と一緒に海外の展示会にも行けた。海外出張であんなこと、こんなこともあった。10年間 技術者としてのやり甲斐を十分満喫できた。本当に感謝している。

その後、事情があって青森へ帰る。(曰く長男の宿命。) 無職の時期に頭を冷やす。
何ができるんだろう?技術屋はやっぱり技術で勝負するしかない。後輩たちをいじってやろう。…と固く決意。
青森県教育職員となる。
H工業高校→G工業高校→M工業高校→現職 定年まであと○年。シングルスコア。
一教師としての総決算の時期。
振り返れば、人生 山あり谷あり。
 この人のレビュー
工業教育に燃える素晴らしい教師です。 元メーカ(H社)のエンジニア出身という異色先生ですが、 熱意と技術をバランスよく備えた方です。 なんといっても、生徒たちから絶大な信頼があります。 青森にきたら、ぜひ、赤坂先生とあってください。 わすれかけてた、熱いものがフラッシュバックしてきます。 僕も学校の先生になりたかったな・・・・。
2008-08-13 05:01:11
全てを包みこむような包容力(大きな心?器?)と、熱い情熱をお持ちの先生! 生徒に檄をとばす先生は近年珍しいですが、赤坂先生の「檄」は最高です! 子供ができたら青森工業高校に入学させることを今から心に決めたほどです(^-^)フフフ・・・
2008-07-31 23:10:28
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